4月に訪問看護ステーションを開業して、あっという間に3ヶ月が経ちました。
53年間生きてきて、看護師としても社会人としてもそれなりの経験を積み、「自分の知識や技術は地域で役立つはずだ」という自負もありました。訪問看護という存在も、世の中にはもっと当たり前に認知されていると思っていたのです。
しかし、現場に出て突きつけられたのは、あまりにも大きな「理想と現実のギャップ」でした。
広島県全体で見ても、亡くなる方の約7割が病院のベッドの上です。自宅で最期を迎える方自体が15%前後の狭き門ですが、その中でさらに「往診医や訪問看護師に見守られて穏やかに息を引き取る」という選択ができた方はほんの一握りしかいないことでしょう。
「在宅医療推進」という言葉だけが一人歩きし、県のデータ上でも病院死が圧倒的 。ましてや私のいる福山市の現場レベルでは、その存在すら届いていない…… と感じることもしばしば。
「訪問看護って、何をしてくれるの?訪問介護と何がちがうの?」
「家で最期を迎えるなんて、家族に迷惑がかかるから無理でしょう」
地域でお会いする方々から返ってくるのは、そんな声ばかりでした。53歳にして、積み上げてきた自分の自信やプライドが見事に砕かれた瞬間でした。
聖書の中に、こんな有名な言葉があります。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。しかし、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書 12章24節)
種は、固い殻のままでは芽を出すことができません。一度土に埋まり、自分の形をなくすことで、はじめて大きな芽を伸ばし、たくさんの実を結びます 。この言葉を思い返し、「知られていない」と嘆く前に、まず私がこの福山の地に深く根を張り、真心込めて一粒の種を蒔こう。
「在宅医療」や「訪問看護」がどれほど素晴らしい仕組みであっても、地域の人々に届いていなければ存在しないのと同じです。
まずは1件の訪問、1人の患者様、ご家族の不安に寄り添うこと。
「家で過ごせてよかった」「自宅で穏やかな時間を過ごせた」という体験を、一つひとつ丁寧に重ねていくこと。
その地道な積み重ねこそが、やがて芽を出し、この福山の街に「誰もが安心して自宅で最期まで自分らしく暮らせる文化」という大きな実りをもたらすと信じています。
開業して3ヶ月。
私はこの街で、覚悟を持って「一粒の麦」にまず、なりたいと思います。
訪問看護は、特別な人のためのものではありません。
「最期まで自分らしく、家で過ごしたい」と願うすべての人とご家族のための味方です。
どうか一人で抱え込まず、いつでも私たちに声をかけてください。先日、スリジエで初めて看取りに立ち会わせていただいたA様、天国から野球観戦を楽しまれていることでしょう。あなたの笑顔にどれほど救われたか。心からご冥福をお祈りいたします。また、いつか再会できることを楽しみにしております。
